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ヱ(エ).ヱビス様のお導き

“友達の家”での、まるで夢を見ていたかのような午後のひと時は、
それまでの僕の緊張感を芯から解きほぐしてくれるのに十分だった。
だが、そんな束の間の休息も終わり、新たな緊張に包まれる事となる。

Elvis Cafeにとって最後の東京ツアーに決めていた日がやって来たのだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

少し前まではもっと悠長に考えていたんだ。勿論、“Xデー”は決めていた。
でも、仮にその日に間に合わなくても、僕にとって彼の日記に綴られる毎日が
まさにアニバーサリー。“Xデー”のこじ付けはそれこそ毎日のようにあったのだ。
それはまるで、恋する人と過ごす何気無い毎日が特別な記念日であるように・・・

それより寧ろ、新しい記事を完成させて編集画面の一番下にある例の、
あの“送信”ボタンをクリックする方が、刻一刻と迫ってくる全ての別れを
早めてしまっている気がして、何処か寂しく、そして切なく感じていたんだ。
だから僕は、僕と彼とを繋ぐたった一つの(しかも今にも切れてしまいそうな)
赤い糸のような存在である、このElvis Cafeとの別れを心の底から惜しみ、
可能ならその時が来るのを一秒でも先に延ばしたいと思うようになっていた。


話は先月に遡る。舞台は僕が勤務している足利市内の学習塾の一室。
(当然だが)これまでElvis Cafeには全く登場した事のない場所だったが、
此処で今後のストーリー展開に影響を及ぼす“ある発表”がなされたのだ。
3月初めのある日の事。上司に呼ばれた僕は何も知らずにドアをノックする。

それは寝耳に水?・・・それとも青天の霹靂?・・・いや、急転直下?・・・


  自分が・・・ですか?

  そうだ、これは我が塾にとって大事なプロジェクトなんだ。
  少々大袈裟かもしれないが、地方の中堅学習塾のウチが
  全国展開する為の足掛かりとして、そして生き残る為に、
  あのエリアで成功する事が如何しても必要なんだよ。
  だから・・・是非とも俺と一緒に来て欲しいんだ・・・



入社以来ずっと尊敬し、その背中を追い続けてきた先輩でもある上司の誘いの言葉。
それに、考えてみればこの半年もの間、僕の心身はElvis cafeのLittle Cindyによって
支配されてしまったみたいだった・・・ネットの中の人物によって、“実際の”僕は侵されて・・・


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そうして最後の東京ツアーの当日、僕が最初に選んだ地は・・・

こんにちは、恵比寿様。貴方といえば勿論、商売繁盛の神様ではありますが・・・
美味しいプレミアムなお酒の神様として、もうすっかりお馴染みになりましたね・・・

そして、彼もプレミアムなスイーツとお酒のマリアージュと称してこの地を訪れていた。
僕があの物語の中でキーパーソンと睨んだ人物に、主人公が紹介していた店のある街。
そう、まさにその店をこのElvis Cafeで紹介する事で、今後の展開に変化を起こしたかった。
残り少ない限られた時間と分量の中で、最後の悪あがきをする為に・・・賭けのつもりだけど・・・


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広尾方面に向かう為、先ほどの恵比寿様に別れを告げてた僕は駅の反対側に降りた。

降りて直ぐのスペースは、蜘蛛の巣のように放射状に広がる裏通りの起点となっていて、
東口から伸びる大通りやガーデンプレイスへと向かう通路の華やかさとは全く趣きを異にした
ダークでジャンクな裏通りといった雰囲気に包まれていたが・・・この、遺跡のような塔は一体・・・

そして僕もまた、何一つ表情を変える事無く数多の通行人の一人として駅を後にする。


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坂道を上ったり下ったり・・・分かれ道をいったりきたり・・・

恵比寿駅から10分、隣りの広尾駅との中間に位置するって書かれていたけれど、
プリントアウトしたyahooの地図を片手に、迷路のように入り組んだ路地や交差点を
思わず右往左往しながら呟いた。彼の日記には“高低差”までは無かったじゃないか!


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早い段階で直ぐ側まで来ていたのだ。ついさっき目の前を通り過ぎていたのだ。
ただ、この街並みに、この坂道沿いに、あまりにも自然に溶け込んでいたので、
すっかり見落としてしまったのかも知れない。何度も読み直した筈たのに・・・

隠れるようにひっそりと佇んでいたんだ・・・でも、誰かに見つけて欲しいように・・・


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BON sweets&smile


彼、Arnoldが、この店を“あの方”にどうしても見せたかったのは、
艶やかなスイーツが楽しめるから?・・・極上の酒に酔う事が出来るから?・・・

それとも、この先に待ち受けるまったりとした空間が、二人の距離を更に縮めて・・・


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“リノベイト”・・・

 Arnoldはこのスタイルの事を“リノベイト”という言葉で表現し、
 自身のお気に入りのカフェスタイルであると強調していた。



例の日記からそのまま引用してみたが、事実、この日記が本当に彼の作品ならば、
当の彼自身もまたArnoldと同様にこのスタイルを相当気に入っていたとみえる。
彼の日記にも同スタイルのカフェが数多登場し、情感たっぷりに紹介していた。

尤も、この外観を目にした数分後、僕はサプライズを経験する事になるのだが・・・


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本当に摩訶不思議な店なのだ。先ほど綴った“リノベイト”という修飾語句は、
恵比寿の繁華街から外れた路地お一角で、普通なら見向きもされぬ築数十年と
思しき物件を、その素朴で飾らない雰囲気はそのままに残しつつ決して古臭く
ならぬように上手く再構築しているところからの彼の賛辞には相違無いが・・・

BON(梵?)というネーミングや、何処か侘び寂びを匂わせるモスグリーンを
イメージカラーとしている一方で、店の雰囲気はスタイリッシュで遊び心を
感じさせ、その他の自然なリノベイトカフェとは大きく一線を画していた。

カウンターにちょこんと腰掛けたキミだって、この不思議な世界の住人だろう?


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入って直ぐのショーケースを彩るのは、艶やかに潤んだ淡いピンクのハートマーク。
やわらかそうなムースのぷるぷるっとした感触が此方にまで伝わってきそうだが、
何よりも気になってしまうのは、そのラブリーなハート型・・・あの人と・・・


外観からも気にはなっていたが、まさにうなぎの寝床とでも呼ぶのに相応しい、
一間ほどしかなかろうかという間口に対して、奥行きのある店内の1階は・・・


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キッチン兼カウンターに加え、その直ぐ向かいに設えたハイチェアーによる
セミスタンディングのテーブル席だけの、シンプルなバースタイルであった。

仕事帰りにヴィンテージ・ラムのロックをスイーツと一緒に軽く一杯・・・
甘い物と洋酒が好きな物語の主人公なら、きっと通い詰める事だろう。
でも、今回僕がElvis Cafeで紹介したいのは、この席ではなかった。


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サクラ


僕が訪れたのは、ソメイヨシノの開花には未だ間がある2月の終わり。
でも、生花店の店頭にはちらほらと桜の枝も見られるようになってきた。

それにしても、桜くらい日本の春を感じさせてくれる花は無いのではなかろうか。
一瞬のこの上ない艶やかさですら何処か控え目で、そして刹那の如く散ってゆく・・・
そんな、瞬間の美に魅せられて、彼も僅か十数回の物語にこの店を選んだのかな?
あの日記の中にも、同じカウンターの場所にさり気無く桜の枝を確認出来るのだった。


カウンターの横にある2階への狭い階段を上りきった空間で僕が目にしたものは・・・


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彼が紹介していた、ナチュラルな空気に包まれていたあの白い空間ではなかった。

そう、あの数枚の写真で見た白・・・星・・・花・・・緑・・・動物たち・・・全てが自然で、
細長い長方形に切り取られた筈の建物の一室を感じさせない広がりに満ちた・・・


白く輝く眩しい日差しは傾き、星が放つ光は鈍く曇り、花は美しい花弁を閉じ、
爽やかな緑は紅紫の大気にかすみ、動物たちは何処かへ走り去ってしまった。

だが、妖しいパープルの煙に覆われた空間は、それでいながら僕を強く挽き付けた。


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それでも窓際の席に通されると、窓から射し込む日差しが紫の空間と混ざり合って、
ナチュラルな側面とムーディーな側面とが渾然とした印象深い空間を作り上げていた。


彼等が提示した例のリスト、即ちArnold日記の店を全て訪れるつもりは無かった。
現存しない店や、すっかりその姿を変えてしまった店もあり、彼の日記を100%同じに
トレースする事など端から不可能であったし、僕の計画にもその選択肢は無かったのだ。
僕は僕の感性と判断でリストの店を選び、訪れ、紹介し、彼等と・・・あの人に訴えたかった。

そして、このBONと、東京ではもう一軒・・・“あの儀式”をしない事には・・・


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Desserts Au Choix


プリフィックススタイルのデザートセットで、ワンプレートにメインのスイーツが1品と、
サイドスイーツが2品、更にマリアージュするアルコールをチョイスして完成する。

実は僕が訪れた当日は、季節毎に変わるメインスイーツの最終日に当たり、
定番スイーツも迷ったが冬に別れを告げるべく季節のスイーツを選んだ。
焼き上がりに時間がかかるとの事であったが・・・15分後位だろうか・・・

やって来たのは三角形が印象深いガラスの平皿に盛られた3種のスイーツの共演。
思わず小さな声をあげてしまい・・・暫くの間、ただただ見惚れている他なかった。


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フォンダン・フロマージュ

メインに選んだ冬のスイーツは円筒状にシートに包まれ、皿の中央にちょこんと座っていた。
もし撮影するならシートを取る前にした方がよいとの事だったが、果たしてシートを捲ると・・・
クリーム色の液体がどろりと溶け出していって、皿の上いっぱいに流れ出すではないか!
しかも、チーズの薫りとクリームの風味が湯気と一緒にふわっと広がっていくなんて・・・

シートを覆う蓋のような、こんがりと焼かれたチーズのサクッと香ばしい事。溢れ出た
とろとろに溶けたクリームを慌てて掬ってひと口食べると・・・これまで食べた事の無い
熱々のチーズと滑らかなクリームの風味が濃厚な甘さで溶け合った全く新しい味わい!
溶け出したチーズ&クリームは、中心から周りのシートへと、だんだんと変化していき、
とろとろの感触がだんだんしっとりになり、絶妙なグラデーションを堪能出来るのだ。


焼きチョコスフレ&季節のフルーツコンポート(林檎)

サイドスイーツは定番が中心で、ソルベ・・・アイス・・・パンデビス・・・魅力的な名前が
メニューを踊っていたが、迷いに迷った挙句、上記の2品をチョイスする事にした。

ふんわりと焼かれたチョコスフレは、しっとりとしたガトーショコラの濃厚でほろ苦い
チョコの風味がクリームのまろやかな甘さでマイルドな口当たりになっていた。
更にフロマージュやショコラのまったりとしたスイーツに、林檎のコンポートの
ジューシーでさっぱりとした感触が良い意味でのアクセントとなってくれた。


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カルム・ド・リューセック


マリアージュのアルコールは3種類。ヴァン・ショー(ホット・ワイン)、シャンパン(ブリュット)も
気になったのだが、今回僕がチョイスしたのはソーテルヌ地方の貴腐葡萄を用いた白ワイン。

彼の1級シャトーであるラフィットが現在所有するシャトー・リューセックのセカンドワインで、
ソーテルヌ地方の代表種でもあるセミヨン100%の貴腐ブドウで作られた極甘口白ワインだ。
グラン・ヴァンは万単位にもなる高級ワインであり、セカンドとはいえ醸し出す雰囲気はリッチだ。

まるで蜂蜜のようにキラキラと輝き、艶やかに潤んだ黄金色は何時までも眺めていたくなる。
専用のグラスに鼻を近付けると、優しく鼻孔を刺激する仄かに甘く爽やかな心地良い薫り。
そのふわっと広がる薫りに堪えかね口を付けると、とろりとした液体が口の中いっぱいに
弾けて、蜜のたっぷりはいった完熟の林檎にも似た甘さと微かな酸味が広がっていく。


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後はひと口付ける度に、グラスを回し、薫りを楽しみ、口に含み、そして何時までも・・・
そう、中々諦めきれずに・・・この魅惑的な余韻に浸っていたかったのだ・・・


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さり気無く窓際に提げられたグリーンが目に眩しい・・・

この席は外のナチュラルな世界と中のムーディーな世界との境界線。
今、僕は現実の世界とElvis Cafeの世界との境界線に立っていた。

僕の身体と・・・そして、心はたった一つだけ・・・でも、此処で決着をつけないと・・・
グラスを回す手も何時の間にか止まり、グラスに映る自分の顔を見つめていた・・・


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フランボワーズのパウンドケーキ


帰り際にレジの前に置かれた皿で見つけた焼き菓子に、思わず手が伸びてしまった。

しっかりと焼き色の付いたパウンド生地とまるでおもちゃみたいな真っ白なフォンダン。
その中にポツポツと見え隠れする可愛らしいピンク色の水玉模様は・・・フランボワーズ!
お人形やアニメに出てくるお菓子みたいにキュートで・・・本当に食べられるのかなって・・・

しっとり生地のやわらかな口溶けに甘いフォンダンと甘酸っぱいフランボワーズが
マッチして、お気に入りのティーカップに熱い紅茶を注いでゆったり頂きたいね。


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「エリンジューム」


その身体から解き放たれた青く鋭い閃光が僕の心の一番奥底に突き刺さってくる。

お前が自分で決められないなら、俺がお前のもやもやを射抜いてやるからって・・・
いや、青き光のイニシャルよ・・・大丈夫だ、キミのお陰で僕は目が覚めたから・・・
それに・・・決心はついているからこそ、今こうしてこの店にやって来たんだ。

でも、キミのその花言葉は・・・そう、この店の紹介にぴったり過ぎるんだ・・・

全てが秘密で・・・そして、それは何時かきっと・・・


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  分かりました。是非、自分に行かせてください。

  そうか、やってくれるか!
  急だからな・・・これから忙しくなるぞ!
  早速だがな・・・



現実の世界の自分にケリをつけた僕は、その夜、ある人の下にメールを出した。
Elvis Cafeの世界を彷徨い続けた僕に・・・ケリをつける為に・・・
# by mary-joanna | 2010-03-16 17:03 | 酔ひもせず

シ.almost sleeping

僕にとってこの数ヶ月間は、まさに雲をつかむような思いの毎日だった。

Elvis Cafeをスタートさせよう・・・彼の軌跡を辿っていこう・・・突然の終焉の秘密に迫ろう・・・
そんな思いをのせたこの物語が尽きるまでに・・・そう、「イロハ」のイニシャルが終わるまでに、
必ずや僕はCindyの下へと辿り着き、今まで僕の心の中を占領してきた、もやもやしたモノに
ハッキリと白黒を付けてやろうって・・・遂に貴方に追いついたって大きく胸を張ろうって・・・

そうして何時の間にか月日は過ぎ去り、僕の日記のイニシャルはどんどん溜まっていった。
様々な苦労は確かにあったものの、幸いにも何とか思った通りの草花を紹介する事が出来た。
しかし、その一方で肝心の彼に近付くヒントは殆んど得られていないままでいるのが現状だった。
これでは会えるどころか、逆に彼の背中を見失ってしまう。そう思った僕は、これまで自らに課し、
貫いてきたルールを犯す事にした。そう、彼が敬愛した例のパン屋に赴き、店主に聞いたのだ。

当初、Cindy自身に関する情報(今、何処で何をしているのか等々・・・)を手に入れるつもりで、
そのパン屋の扉を開け、思い切って店主に話し掛けた僕だったが、実際に口から出た言葉は
思っていたのとは異なる、違う人物についての質問だった・・・全く関係無い訳ではないが・・・
果たして、店主から“情報(?)”を入手した僕は、ある事を確信し、また、ある事を決心した。

そう、いよいよフィナーレに向けての大仕事に取り掛かる時がやって来たのだ・・・
唯、その前にひと休みがしたかった。身体と心の両方をゆっくりと休ませたい・・・
これまで頑張って走り続けてくれた自分自身に対して感謝と労いを送りたい・・・
そう思った僕は、今回のイニシャルの花と、それにぴったりの場所に向かった。

心置きなく寛げる、気の置けないあの娘の待つ場所・・・そう、“友達の家”に・・・


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まるで迷路みたいな住宅街をクネクネと進んでようやく辿り着いたこの路地の、
目の前に現れた目印の緑色の建物。あの家の突き当たりの角を左に曲がれば、
確か、例の焦げ茶色の看板が直ぐに見える筈だ・・・あの角を曲がれば直ぐに・・・

何時だってそうだったんだ・・・どの街にだってきっとあるんだ・・・そして誰もが経験した、
あのワクワクする感覚・・・ドキドキする緊張感・・・そう、この路地の曲がり角の先には・・・


だって、この先はおとぎ話の世界が待っているのだから・・・


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アンの友達


車一台がやっと通り抜ける事の出来る細い路地を曲がると少し開けた空間になる。
路地とその奥にある建物との間には駐車場のスペースと、この家の庭があるからだ。
庭の樹木の向こうには、真っ白なドーマーが付いた大きなペールグリーンの切妻屋根。

今にもあの白い窓から麦わら帽子を被った赤毛の女の子が手を振ってくれる気がして・・・

久しぶりだね、元気だった?僕は・・・うん、まあまあ元気にやってるよ。
今度はランチとお茶を頂きたくなって、またキミのお家に遊びに来たんだ。
それにね、あの大きく開いた窓際の席からのんびり庭の緑を眺めたくってね。


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この前と同じ、塗装が剥げて錆付いた薄水色のアイアンフェンスの前に車を停める。
フェンスの先の庭へと向かうには、正面のアーチをくぐって行かなければならない。

前回訪れた際は、庭の端からフェンスを伝って伸びてくる細い蔓バラで出来たアーチが
それは、まるで触手のようにくねくねと絡み合って緑のトンネルを作り上げていたが、
未だ春と呼ぶには早過ぎる今日この頃、二つの世界を繋ぐ唯一のトンネルは、
花は勿論、一枚の葉っぱさえ付けずにその細々とした丸裸の腕を寂しそうに
アーチに絡ませているのだった・・・華麗に薫り立つ5月の頃を夢見ながら・・・


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入り口のアーチのみならず、あの時は庭中が眩しい位鮮やかな緑に覆われていたけれど、
今、僕の目の前に広がっているのは、剥き出しになった黒々とした地面と枯れた芝生・・・
あの夏の日の面影を見つけたくなって、僕は庭の周りをキョロキョロと見回してみた。

おやっ、玄関先で何かを見つめているキミは・・・あっ!!


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やぁ、久しぶりだね、おとぎの国のウサギさん。この前はオレンジ色のお花畑で
かくれんぼしてたけれど・・・今日は一体何をそんなに見つめているんだい?

僕もウサギが見つめる先に視線を向けてみた・・・あぁ、あの花を見ていたんだね。


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スイセン


確かキミとは何処かで会ったような・・・あぁ、ピースフルなパン屋近くの公園だったかな。
あの時は黄色い顔に真っ白な髪飾りを付けて、ちょっと物憂げに俯いていたっけね。

何時も自分の容姿が気になるキミの事だから、きっとまた綺麗に着飾っていると
思っていたけれど、今度は全身をイエローでコーディネートしているなんて・・・

目立ちたがり屋のキミだから、誰よりも早く華麗に咲くのは分るけれど、
相変わらずキミって・・・いやいや、勿論褒めているつもりなんだ・・・


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新緑が芽吹き、美しい花が咲き誇るにはもう少し時間が必要かも知れないけれど、
誰よりも草花に愛情を注ぐ店主が営む家だから、店内で出迎えてくれるのは・・・


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四季を問わず決して色あせる事の無い、淡い桃色や紅色で僕を魅了する貴女、
一瞬の瑞々しさと引き換えに、永遠の姿を手に入れる事を選択した貴女、それとも・・・

僕は永久に枯れてしまう事の無い、夢の中を彷徨っているとでも言うのだろうか・・・


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思えば、この家に入る瞬間からそうだったのだ。このリーフが何よりの証拠。
実りの秋にしかお目にかかれない筈の、薄小麦色をした穂を編んだリースが・・・

ドライフラワーにポプリに・・・そう、此処は草花の楽園、花の無い季節なんて存在しない!


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お馬さん、キミだってこの家でずっと植物に囲まれてのんびり過ごしてきたんだろう?
そう言えば、この前訪れた時に挨拶した焼き菓子コーナー担当の彼、見掛けなかった?

あぁ・・・正面でちゃんと番をしているんだって?


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やぁ、久しぶり・・・相変わらずちゃんと番をしているんだね。流石、しっかり者のキミだ。
一時たりともこの前を離れたりしないなんて・・・それに、ビシッとしていて決まっているよ!


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全く飾らないこのキッチンカウンターから、温かいママの手作り料理が出来てくるんだ。
この前はスイーツとドリンクだけだったけれど、、今日は是非ともランチを頂くとしよう。

だって、キッチンから伝わる美味しそうな香りに、さっきから僕の腹は鳴りっぱなしなんだ!
でも、その前に、カウンターでどうしても見ておきたいモノがあってね・・・あっ、これだよ!


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カウンターの上にズラリと整列したハーブの瓶・・・今日は君たちに用事があってね・・・

やぁ、ハーブのみんな、久しぶり。長く険しかった僕の計画も如何やら一段落つきそうなんだ。
そこで、疲れ切った心と身体をリフレッシュさせたくなってね・・・キミたちの力を借りに来たんだよ。
今日はちゃんとキミたちの仲間だって用意してきたんだから・・・ほら、もう待ち切れなくて真っ白な・・・


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テーブル・・・椅子・・・キャビネット・・・書棚・・・落ち着いた印象の部屋の至る所には、
良く手入れのなされた艶やかな飴色の木製家具がゆったりと配置されていた。
更に一番奥には煉瓦造りの暖炉まで設えてあり、まさにあの物語の舞台・・・

そう、まるでグリーンゲイブルズに遊びにやって来たような気分に浸れるんだ!
この部屋の、ゆったりした空気に包まれているだけで、まったりとして・・・


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あぁ・・・だからキミものんびりしに此処にやって来たんだね・・・


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この前もこの窓際のテーブルだったんだ・・・あの方に紹介された僕の特等席。


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おやっ、誰かが窓を開けて手招きしている・・・


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多肉植物の一種だろうか?・・・細い腕から沢山伸びた可愛らしい緑のおてて。

このミントグリーンの窓枠から、外の庭を見てごらん!って誘っているみたいに・・・


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8月に来た時も澄んだ青空の気持ちの良い一日だったね。

今日も穏やかな陽気で・・・今度こそ、バラの花咲く初夏の午後に、
あのガーデンテーブルでのんびりとアフタヌーンティーを楽しみたいな。


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ハーブ入り野菜カレー


陶器のポットには大きめにカットされた新鮮な野菜がゴロゴロと入っていた。
赤に黄色はパプリカかな?グリーンに・・・あっ、ラッキー、カボチャも入っている!
湯気と共に立ち上る薫り豊かなポットからお気に入りの野菜を探すのも楽しいけれど、
豊かな色彩も十分食欲をそそられるけれど、何と言っても一番の魅力はその味わい。
ひと口食べれば、瑞々しさの中から弾け出るジューシーな野菜本来の甘みと酸味。
ホッコリした食感はそのなままにしっかりと煮込まれて、旨みが凝縮されている。

そして、その野菜に絶妙に絡んでくるのが、店主特製の、このカレーのルー!
スパイシーで程良い辛さとハーブの爽やかな香りがマイルドに溶け合って、
野菜は勿論、ご飯にも良くマッチして何時の間にか全部食べ切っていた。


ハーブの庭のハーブのカレーにすっかり魅了され舌鼓を打った僕だが、
ハーブと言えば・・・そう、今日此処にやって来た一番の目的は・・・


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ナイトジャスミン(ハーブティーブレンド)


ジャスミンに・・・カモミールに・・・ジュニパーベリーに・・・真っ赤な実はローズヒップだね。

暫くポットのハーブが開いていくのを眺めていたけれど、ゆっくりとカップに注ぎ始めた。
ガラスのポット越しに見える淡い黄緑色が、白いティーカップを薄っすらと染めていく。
カップに注がれると湯気と同時に広がってゆくのは、ウットリとするような芳しい薫り。

薫りの中から仄かに広がる清涼感とジャスミンのすっきりとした香りが心地良い。
ひと口・・・またひと口・・・カップを近付ける度にまるで夢の中へと誘われてゆく。

これまでの僕の物語も立ち上る湯気のように淡い夢だったのかな?・・・なんて・・・
そして僕は、再び窓の方に目を向けた。窓と庭の間の、温室のスペースに置かれていた。


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「ジャスミン(羽衣ジャスミン)」


紅色の花先から、真っ白な蝶々がひらひらと、純白の羽衣を纏っているように舞っている。
儚い命と知りながらも、その一瞬の輝きに全てを託しているように、可憐で美しい花弁。
鉢からは、思わずウットリとする芳しいジャスミンの香りがふんわりと広がってくる・・・


この容姿も、そして香りも、一時だけの夢・・・次に訪れた際はきっと真っ白な蝶々は
何処か彼方へと飛び去ってしまい、緑の葉だけがあとに残されているのだろう・・・

まるでそれは、今僕が手にしているカップから広がるティーの芳しい香りのように・・・
そして、暫くのまどろみから覚めて、またいつもの世界へと引き戻されるのかな?


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“友達の家”で夢のようなひと時を過ごした僕は、おとぎの世界の住人たちに別れを告げ、
現実との境界である蔓バラのアーチを再びくぐって、何度も振り返りながら車に乗り込んだ。

もう、思い残す事は無い・・・
もう、やり残した事も無い・・・
最初から決まっていたんだ・・・
そして、遂にその時が来たんだ・・・

次に向かうのは、例のリストの店・・・もしこれで失敗したら・・・
# by mary-joanna | 2010-03-08 12:25 | 浅き夢見じ

ミ.Festa della donna(フェスタ・デラ・ドンナ)

Elvis Cafeも40回を越えて、いよいよ最終コーナーを回り切った所までやって来た。
残り僅かな最後の直線で全ての謎と障害を振り切り、彼の待つゴールへと向かうのが
これまで僕がイメージしていた楽観的な展開だが、現実はそう上手くいかないみたいだ。

そもそも何故彼がCindy's WALKを突然終了してブログの世界から忽然と姿を消したのか?
そしてリンクやランキングは勿論、全くと言って良い程、他との交流を排してきたこのブログに
不可解な執着と放置を繰り返す、あの物語の登場人物を語る一団(3人に過ぎないが)とは
一体何者なのか?(実際に彼等とコンタクトを取っているのが却って不気味に感じるが・・・)
更に不可解と言えば、イロハ順に花を紹介するのに引っ掛けた、あのコメントだって・・・

そんな謎と不安だらけのまま、このElvis Cafeはもう最終コーナーを回ってしまったんだ!


思えば今日まで僕は、彼、Cindyが訪れ、紹介してきた店をまるでトレースするように
訪問してきたのだが、各々の店の店主やスタッフは既に彼の事を知っていた筈になる。
だから、店の方に直接尋ねるのが一番の近道ではあったのだが、僕はそうしなかった。
それを敢えてやらなかったのは、僕の中での暗黙のルールであり拘りでもあったからだ。
しかし、このまま彼に出会う事はおろか有益な情報も得られずにフィナーレを迎えるのは、
昨年の夏以来40数回に渡り積み上げてきた全てがガラガラと崩れ去る事を意味するのだ。

もう僕には一刻の猶予も残されていなかった。実はこの物語、Elvis Cafeを始めるに際して、
彼のブログに無くてはならない存在とも言える、一軒のパン屋を紹介する事を心に決めていた。
そして、そのパン屋の若い店主ならば、彼の事を非常に良く知っているのでは無いだろうか?
何故なら、彼がブログを中断する旨を知らせる回・・・即ち“最終回”の、しかも最後の最後で
彼が自身の姿を晒した写真の中にツーショットで収まっていた人物に他ならないのだから・・・

しかし、僕がその事を知ったのは大分後々の事・・・そう、全く最近になっての事だった。
彼は、自身の姿をカミング・アウトしたその写真を、たったの一日で削除してしまっていた。
兎に角、僕は彼がCindy's WALKを通じて敬愛して止まなかったパン屋に行く事に決めた。

遂に、遂に機は熟したのだ!・・・熟し過ぎて落ちてしまう前に・・・


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何度も迷い、彷徨った。迷宮のような路地裏でも雄大な景色の田園地帯でもない、
何の変哲も無い田畑が点在する住宅地。学校とスーパーの周りをグルグル回った。
そう、彼の初めての訪問時と全く同じ・・・“Little”の称号は伊達じゃない・・・かな?

秋頃の予報では確か今年の冬は暖冬になる筈であったが・・・またこんな天気か・・・
2月も終わり、春はもう近くまでやって来て・・・こっちも最終コーナーだって言うのに・・・
霙交じりの薄暗い空の下、気が滅入ってくる頃だった・・・この看板を見つけたのは・・・


 ゴールはこっちだ、もう直ぐだ!この矢印に沿って進めばあと少しで到着だぞ!

きっとCindyも、訪れる度にこの四方の端が捲れ上がった看板に勇気付けられた事だろう。
雨の日も風の日も・・・そう、こんなに肌寒い冬の日だって変わる事無くビシッと矢印を向けて・・・


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矢印の通りに進んで突き当りを右に曲がると、とある一軒の民家の庭先へと辿り着く。
その開けた空間を埋め尽くしているのは、何と其処彼処に大量に積み重ねられた薪の山だ。
その積み上げられた薪の側で見つけたのは、もう可憐な姿を見せる事の無い小さな枯れた花。

そう言えば彼がこのパン屋を最後に紹介した際には、この薪で出来た高い壁に囲まれた空間で
可愛らしい白い花弁を咲かせていたね・・・沢山の薪たちと一緒で、とても楽しそうに揺らめいて・・・
それに比べて今日のキミは、まるでこの日の天気みたいに寂しそうに冷たい霙に当たりながら・・・


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薪窯パン ワンネス


やっと会えたよ、ワンネス・・・そう、Cindy's WALKがまだCindy's “TALK”と名乗っていた
初めてのパン屋巡りから、ブログの更新が途絶える1ヵ月前までの約2年に渡って幾度と無く
紹介続けてきた、何時だったか彼自身が綴っていた“Cindyの日記と共に歩んできたパン屋”・・・

そう言えば、このワンネスも確か以前はワンネス・“ブロート”って名前だったよね。

その外観は、ごく初期のグリーンの山小屋から常に増改築を繰り返し、一時たりとも
全く同じ表情を見せる事が無い・・・それは何処と無く、Cindyのブログに於ける歩みにも
相通じる部分があって、恐らく彼は自分の理想像を重ね合わせていたのかも知れなかった。


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でも、だったら尚更、途中で突然その歩みを止めてしまうなんてオカシイじゃないか!

だって、この類い稀なパン屋はまだまだ進化を遂げようとしていると言うのに・・・


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煙突から白い煙がもくもくと立ち上っている・・・どうやらやっているみたいだ。


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傘の中の裸電球は未だ眠ったままだったが、その奥に見える仄かな明かりは・・・


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そう、店の中では燭台に灯が点され、薄暗い中、蜜柑色の明りがゆっくりと揺らめいていた。

この窓の向こう、蜜柑色の店内には・・・窓の隣りの真っ白な扉の先には・・・あの店主が待っている・・・
これまでElvis Cafeで僕が訪れた店の中でも多分彼の事を一番良く知っている、あの若き職人が・・・

来る時から降っていた霙交じりの雨はまだ止まず、肌が剥き出しの手は感覚が無くなりそうだ。
何時までも扉の前に立ち尽くす訳にもいかず、僕は一呼吸して白い扉の取っ手に手を掛けた。


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中に入ってみると、低い天井と薄暗い室内が、決して広いとは言えないこの店内を
一層限られた空間に仕立てているように思えた。唯、大きな窓から差し込む曇り空の
真っ白な光と壁際に取り付けられたランプや燭台の上で生き物のように揺らめく蝋燭が
緩やかに鬩ぎ合って、この薄暗い空間を微妙で独特な色彩と陰影で染め上げていたのだ。

其処で最初に目にし、一番存在感を放っていたものこそ、この大きなダイニングテーブル。
テーブルの奥には窓からも窺えた燭台が緩やかな明かりで室内をほんのりと照らし出し、
目の前には、テーブルを埋めるようにこの店自慢のパンたちが規則正しく並んでいた。

手前にはオレンジ色の花束が活けられている。蝋燭の灯とパンと花のテーブル。
縁起でも無いけれど、僕は最後の晩餐としての一つのモデルを想像してしまった。
尤も、彼ならこんな風にテーブルいっぱいのパンに美しい花を添えて饗するかもね・・・

・・・最後の晩餐の時は、ね・・・


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テーブルの上のパンは、一見しただけではどれも極めてシンプルなものばかりだった。
昨今、巷で良く目にするカラフルで凝った作りのパンや菓子の類は、此処には全く無い。

代わりにあるのは、岩のようにゴツゴツとした褐色の塊、所謂ハード系と呼ばれるパンだ。
彼をはじめ多くの方が紹介の際に指摘していたが、確かにどのパンも本当に大きかった。


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無骨で飾らないテーブルの上で、唯一華やかな雰囲気を醸していたのがこの花束だった。


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チューリップ


常連のお客さんから頂いたとの事だが・・・それにしても、これがチューリップだって?

花を紹介するブログを綴るようになってから今日まで、僕だって多少なりとも花の事を学習し、
詳しくなったつもりだったけれど、それこそ世の中には数え切れない程の種類の花が存在し、
花によっては一つの種類から更に数百もの品種が絶えず作り出されているのだから・・・

半年やそこいら齧っただけではまだまだ入口を越えたとも言えないレベルなのだ。
尤も、だからこそ今日まで常に新しい魅力的な花に出会う事が出来たのだった。


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テーブルの隣りに目を向けると、其処にはアームのついた低いソファが二つ置かれていた。

オーセンティックな印象の、ブラックレザー調とモスグリーンのファブリックのクッションには
何処となく見覚えがあったが・・・あぁ、そう言えば何時だったか彼も紹介していたっけ・・・

ソファを眺めながらこのパン屋に対する彼のブログを思い出していた、まさにその時だった。
“バチバチ”っと何かが弾ける乾いた音が静まり返った店内に響き渡り、この突然の知らせに
ぼんやり物思いに耽っていた僕は、ハッと我に返り音の鳴ったソファの向かい側に目を向けた。


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入口から死角になっていた為に気付かなかったのだが、ソファの直ぐ向かい側には
家具職人でもあるこの店の店主が作り上げたオリジナルの薪ストーブが置かれていた。

廃材を三角コーナーのスペースにぴったりと収まるように溶接により繋ぎ合わせただけの、
全くシンプルな意匠なのに、これまで見た事もない独創的、アーティスティックなフォルムで
しかも、この小さな山小屋にいるような素朴な空間にも全く違和感無く落ち着いているなんて・・・

先のテーブルや、この店自体にしても同様だが、この若き店主が創造し形にするもの全てが、
素朴で何処か懐かしさを感じさせるのに、同時に斬新でスタイリッシュな側面も持ち合わせて・・・

そう、それはこの店のパンがそうであるように・・・


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店主の好意で、このソファに腰掛けストーブの火に当たりながら、店主が自ら焙煎をした、
この店オリジナルのコーヒーを淹れてもらう事となった。なんて優雅なひと時なのだろう!

だが、そんなまったりとした時間を引き裂いてしまうかのように、僕は思い切って口を開いた。


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店主との語らいは思いのほか長くなり、目の前に並んだ美味しそうなパンや焼き菓子の、
まるで此方を誘っているような魅力的な姿に抗えなくなった僕は、この場で食す許可を得た。

“ベルベ”と呼ばれている、数種類のフルーツやくるみをたっぷりと練り込んで焼き上げた、
ライ麦生地のお菓子を追加オーダーした。ほろ苦いコーヒーに良く合うと思ったのも確かだが、
この店で必ずGetするとCindyが毎回のように書かれていたのが非常に気になっていたのだ。

ずっしりとして、とても重厚感のある焼き菓子だ。生地の風味に加えて油の香ばしさも
更なる食欲へと誘ってくれる。口の中でホロホロと生地が崩れるのと同時に広がってくる
レーズンやアプリコットのネットリした舌触りや芳醇で複雑に絡み合った甘酸っぱい風合い、
カリカリして生地やフルーツの食感と絶妙なバランスでアクセントとなる胡桃に至るまで・・・

お世辞にも華麗とは言えないこの素朴な菓子の奥深さに、僕は(も?)心底打ちのめされていた。


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カッフェ・マッキャート


続いて店主が差し出してくれたのが、砂糖とミルクがたっぷり入ったエスプレッソ。
冷たいミルクと熱いエスプレッソとが混ざり合って、丁度良い温かさになって・・・


 すっごくぬるいだろう?


・・・確かにコーヒー牛乳を飲んでいるような口当たりで、温かさは感じられなかった。
それなのに、甘くてまろやかで、コクもあって・・・実際以上の温かさが伝わるんだ!


 でもなぁ、これが俺がイタリアのカフェで飲んだカッフェ・マッキャートの味なんだ。
 超がつくくらいの苦いエスプレッソに、砂糖と冷たいミルクをたっぷりと注いだ・・・
 そう、ナポリのガンブリヌスってカフェで飲んだ味なんだよね・・・



そして僕がこのカップを飲み干すのを見計らって、店主は先程の話の続きを再び始めた。


 へぇ・・・それじゃあ君は彼の後を継いでカフェやパン屋を紹介しているって訳?
 でも、それなら運が良かったね。だってこの店は来週から臨時休業に入るんだよ。
 毎年この時期にイタリアを巡る事にしているんだ。だから今日で本当に良かった。
 そう言えば、イタリアには“女性の日”っていう休日があるのは・・・知らないか・・・
 男性が女性に感謝や愛情を込めて花を送る日なんだけど、その花は休日でもある
 3月8日頃に綺麗な黄色い花を枝いっぱいに咲かせる・・・




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ライ麦プレーン&小麦プレーン(苺酵母)


Elvis Cafeを始めるまで、僕はライ麦のパンというものを意識して食べた事が無かった。
尤も意識してパンを食べる事自体が稀であったが・・・彼がこの店をUPする度に載せていたのが
他ならないこのライ麦プレーンだった。手に持っただけでズシリとした重量感・・・と同時にライ麦を
ローストした芳ばしさも伝わってくる。淡い狐色の皮は素朴な田舎のパンといった雰囲気を醸し出す。
バリバリした食感の厚めに焼き固められた皮は香ばしく、中の生地のもっちり感を強調しているようだ。
ライ麦パン特有のボソボソとした食感は殆ど感じられず、しっとりとして口の中で伸びていくみたいだ。
生地には適度な塩味と練り込まれた外皮の風合い、更に皮の香ばしさが絶妙にマッチしているので、
食事のお伴には勿論の事、パンだけで食べてしまうという彼の意見にも納得のいく味わい深さだった。

そしてもう一つ、隣りに置いたライ麦のパンに比べて濃い焼き色の付いたラグビーボール型のパン。
此方が小麦のパンとの事だが、他の店ではライ麦パンの方が比較的焦げ茶色の印象もあるが・・・
そして、何と言ってもこのパンは苺の酵母で発酵させているとの事であり、確かに苺の種らしき
粒々を確認する事も出来た。そして、それを裏付けるように仄かに薫る苺の甘酸っぱい風味。
爽やかで微かにスパイシーさも感じる気泡たっぷりの生地と、ガツンとくるバリバリの皮。
その全ての美味しさが一体となって、新しくもスタンダードな小麦パンに仕上がっていた。


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ライ麦いちじくくるみ&ライ麦ひまわり


更に、この店の定番でもあるライ麦パンのバリエーションを2種類購入する事にした。

断面がぽっこりとした山型の褐色のパンがいちじくくるみで、バリバリに固く香ばしい皮は
先程のプレーン同様、噛み締める毎に感動を覚える位の美味しさだが、中の生地には
たっぷりの無花果が散りばめられて、軽くトーストすると無花果の豊かな甘い薫りが
もっちりとした生地全体からふんわり広がってくる。その甘さの中心にはねっとりした
舌触りとジャリッとした種の食感が楽しい無花果の実がゴロゴロと入っていた。

スクエアーな断面が却ってこの店にとって新鮮な印象を与えているのがひまわりだ。
確かにドイツのライ麦パンの中にこんな形をしたパンがあったような気もするけれど・・・
粘り気のある保湿感いっぱいの生地が口の中でホロホロと崩れていくののだが、
これまで食べたこの店のパンとは一線を画しているのが印象的だった。しかも、
生地に練り込まれた向日葵の種がつるんとして噛むとむぎゅっと押し返す・・・
スープにも良く合いそうなシンプルな食事パンなのに、とても楽しいパン・・・


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花のよこつか


店主の最後の言葉を胸に秘め足利に戻った僕は、市内のある花屋の扉を叩いた。
隣りの群馬県館林市に本店を構えるこの店は、本店と同じく2階に雑貨屋も併設していて、
草花は勿論、アレンジからコーディネートに至るまで、素敵としか言いようの無い空間だった。

店の方のご厚意により、この最高のロケーションで今回のイニシャルを撮らせて頂く事になった。


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それは、まるで南欧の邸宅の一角で撮影しているのでは?と錯覚しそうな程だった。
そう、貴女に見てもらう為には、これくらいの演出が必要なのかも知れないね・・・


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潤んだような瑞々しく淡い紫の可愛らしい花が、そっと出迎えてくれた・・・


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シンビジューム


おいおい、アナタの出番は次の「シ」のイニシャルの筈だけれど・・・
まさか花の女王とも形容されるアナタが、よもや前座で登場だなんて・・・

「シ」の花はアナタにも負けない純白の花が用意されているのでご安心を。
それにしても・・・何て優雅で、そして美しい立ち振る舞いなんだろう・・・


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「ミモザ」


Festa della donna(フェスタ・デラ・ドンナ)・・・3月8日はイタリアでは休日となっていて、
日頃世話になっているアナタに、そして愛して止まない貴女にミモザの花を送る日でもある。
イタリアの食文化を敬愛し、今年も更なる進化を遂げる為に彼の地へと飛び立った若き職人。
このタイミングで、このイニシャルでワンネスを訪れたのも運命なのかな?なんて妄想した僕は
イタリアに因んだ・・・それに、ある女性に捧げる為に「ミモザ」を今回のイニシャルと決めたのだ。

ある女性?・・・勿論、彼女に・・・と言いたいところだが、実は最近僕は彼女との別れを経験した。
それについてはElvis Cafeで語る話題では無いので割愛する事にして、今回この花を贈りたい、
見て欲しいのは・・・そう、貴女への感謝の印なのだから・・・僕のお願いに応えてくれた・・・


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あの店で僕が店主に質問したのは、たった一つの点であった。
それは勿論、彼にかかわる事ではあるが、彼の人物像や現状といった、
言わば彼自身に関する事では無かった。実は、それはと言うと、その・・・

彼、Cindyと、ある人物との関係について・・・それこそ僕が一番知りたかった事・・・
# by mary-joanna | 2010-03-01 02:35 | 浅き夢見じ