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ヱ(エ).ヱビス様のお導き

“友達の家”での、まるで夢を見ていたかのような午後のひと時は、
それまでの僕の緊張感を芯から解きほぐしてくれるのに十分だった。
だが、そんな束の間の休息も終わり、新たな緊張に包まれる事となる。

Elvis Cafeにとって最後の東京ツアーに決めていた日がやって来たのだ。

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少し前まではもっと悠長に考えていたんだ。勿論、“Xデー”は決めていた。
でも、仮にその日に間に合わなくても、僕にとって彼の日記に綴られる毎日が
まさにアニバーサリー。“Xデー”のこじ付けはそれこそ毎日のようにあったのだ。
それはまるで、恋する人と過ごす何気無い毎日が特別な記念日であるように・・・

それより寧ろ、新しい記事を完成させて編集画面の一番下にある例の、
あの“送信”ボタンをクリックする方が、刻一刻と迫ってくる全ての別れを
早めてしまっている気がして、何処か寂しく、そして切なく感じていたんだ。
だから僕は、僕と彼とを繋ぐたった一つの(しかも今にも切れてしまいそうな)
赤い糸のような存在である、このElvis Cafeとの別れを心の底から惜しみ、
可能ならその時が来るのを一秒でも先に延ばしたいと思うようになっていた。


話は先月に遡る。舞台は僕が勤務している足利市内の学習塾の一室。
(当然だが)これまでElvis Cafeには全く登場した事のない場所だったが、
此処で今後のストーリー展開に影響を及ぼす“ある発表”がなされたのだ。
3月初めのある日の事。上司に呼ばれた僕は何も知らずにドアをノックする。

それは寝耳に水?・・・それとも青天の霹靂?・・・いや、急転直下?・・・


  自分が・・・ですか?

  そうだ、これは我が塾にとって大事なプロジェクトなんだ。
  少々大袈裟かもしれないが、地方の中堅学習塾のウチが
  全国展開する為の足掛かりとして、そして生き残る為に、
  あのエリアで成功する事が如何しても必要なんだよ。
  だから・・・是非とも俺と一緒に来て欲しいんだ・・・



入社以来ずっと尊敬し、その背中を追い続けてきた先輩でもある上司の誘いの言葉。
それに、考えてみればこの半年もの間、僕の心身はElvis cafeのLittle Cindyによって
支配されてしまったみたいだった・・・ネットの中の人物によって、“実際の”僕は侵されて・・・


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そうして最後の東京ツアーの当日、僕が最初に選んだ地は・・・

こんにちは、恵比寿様。貴方といえば勿論、商売繁盛の神様ではありますが・・・
美味しいプレミアムなお酒の神様として、もうすっかりお馴染みになりましたね・・・

そして、彼もプレミアムなスイーツとお酒のマリアージュと称してこの地を訪れていた。
僕があの物語の中でキーパーソンと睨んだ人物に、主人公が紹介していた店のある街。
そう、まさにその店をこのElvis Cafeで紹介する事で、今後の展開に変化を起こしたかった。
残り少ない限られた時間と分量の中で、最後の悪あがきをする為に・・・賭けのつもりだけど・・・


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広尾方面に向かう為、先ほどの恵比寿様に別れを告げてた僕は駅の反対側に降りた。

降りて直ぐのスペースは、蜘蛛の巣のように放射状に広がる裏通りの起点となっていて、
東口から伸びる大通りやガーデンプレイスへと向かう通路の華やかさとは全く趣きを異にした
ダークでジャンクな裏通りといった雰囲気に包まれていたが・・・この、遺跡のような塔は一体・・・

そして僕もまた、何一つ表情を変える事無く数多の通行人の一人として駅を後にする。


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坂道を上ったり下ったり・・・分かれ道をいったりきたり・・・

恵比寿駅から10分、隣りの広尾駅との中間に位置するって書かれていたけれど、
プリントアウトしたyahooの地図を片手に、迷路のように入り組んだ路地や交差点を
思わず右往左往しながら呟いた。彼の日記には“高低差”までは無かったじゃないか!


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早い段階で直ぐ側まで来ていたのだ。ついさっき目の前を通り過ぎていたのだ。
ただ、この街並みに、この坂道沿いに、あまりにも自然に溶け込んでいたので、
すっかり見落としてしまったのかも知れない。何度も読み直した筈たのに・・・

隠れるようにひっそりと佇んでいたんだ・・・でも、誰かに見つけて欲しいように・・・


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BON sweets&smile


彼、Arnoldが、この店を“あの方”にどうしても見せたかったのは、
艶やかなスイーツが楽しめるから?・・・極上の酒に酔う事が出来るから?・・・

それとも、この先に待ち受けるまったりとした空間が、二人の距離を更に縮めて・・・


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“リノベイト”・・・

 Arnoldはこのスタイルの事を“リノベイト”という言葉で表現し、
 自身のお気に入りのカフェスタイルであると強調していた。



例の日記からそのまま引用してみたが、事実、この日記が本当に彼の作品ならば、
当の彼自身もまたArnoldと同様にこのスタイルを相当気に入っていたとみえる。
彼の日記にも同スタイルのカフェが数多登場し、情感たっぷりに紹介していた。

尤も、この外観を目にした数分後、僕はサプライズを経験する事になるのだが・・・


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本当に摩訶不思議な店なのだ。先ほど綴った“リノベイト”という修飾語句は、
恵比寿の繁華街から外れた路地お一角で、普通なら見向きもされぬ築数十年と
思しき物件を、その素朴で飾らない雰囲気はそのままに残しつつ決して古臭く
ならぬように上手く再構築しているところからの彼の賛辞には相違無いが・・・

BON(梵?)というネーミングや、何処か侘び寂びを匂わせるモスグリーンを
イメージカラーとしている一方で、店の雰囲気はスタイリッシュで遊び心を
感じさせ、その他の自然なリノベイトカフェとは大きく一線を画していた。

カウンターにちょこんと腰掛けたキミだって、この不思議な世界の住人だろう?


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入って直ぐのショーケースを彩るのは、艶やかに潤んだ淡いピンクのハートマーク。
やわらかそうなムースのぷるぷるっとした感触が此方にまで伝わってきそうだが、
何よりも気になってしまうのは、そのラブリーなハート型・・・あの人と・・・


外観からも気にはなっていたが、まさにうなぎの寝床とでも呼ぶのに相応しい、
一間ほどしかなかろうかという間口に対して、奥行きのある店内の1階は・・・


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キッチン兼カウンターに加え、その直ぐ向かいに設えたハイチェアーによる
セミスタンディングのテーブル席だけの、シンプルなバースタイルであった。

仕事帰りにヴィンテージ・ラムのロックをスイーツと一緒に軽く一杯・・・
甘い物と洋酒が好きな物語の主人公なら、きっと通い詰める事だろう。
でも、今回僕がElvis Cafeで紹介したいのは、この席ではなかった。


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サクラ


僕が訪れたのは、ソメイヨシノの開花には未だ間がある2月の終わり。
でも、生花店の店頭にはちらほらと桜の枝も見られるようになってきた。

それにしても、桜くらい日本の春を感じさせてくれる花は無いのではなかろうか。
一瞬のこの上ない艶やかさですら何処か控え目で、そして刹那の如く散ってゆく・・・
そんな、瞬間の美に魅せられて、彼も僅か十数回の物語にこの店を選んだのかな?
あの日記の中にも、同じカウンターの場所にさり気無く桜の枝を確認出来るのだった。


カウンターの横にある2階への狭い階段を上りきった空間で僕が目にしたものは・・・


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彼が紹介していた、ナチュラルな空気に包まれていたあの白い空間ではなかった。

そう、あの数枚の写真で見た白・・・星・・・花・・・緑・・・動物たち・・・全てが自然で、
細長い長方形に切り取られた筈の建物の一室を感じさせない広がりに満ちた・・・


白く輝く眩しい日差しは傾き、星が放つ光は鈍く曇り、花は美しい花弁を閉じ、
爽やかな緑は紅紫の大気にかすみ、動物たちは何処かへ走り去ってしまった。

だが、妖しいパープルの煙に覆われた空間は、それでいながら僕を強く挽き付けた。


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それでも窓際の席に通されると、窓から射し込む日差しが紫の空間と混ざり合って、
ナチュラルな側面とムーディーな側面とが渾然とした印象深い空間を作り上げていた。


彼等が提示した例のリスト、即ちArnold日記の店を全て訪れるつもりは無かった。
現存しない店や、すっかりその姿を変えてしまった店もあり、彼の日記を100%同じに
トレースする事など端から不可能であったし、僕の計画にもその選択肢は無かったのだ。
僕は僕の感性と判断でリストの店を選び、訪れ、紹介し、彼等と・・・あの人に訴えたかった。

そして、このBONと、東京ではもう一軒・・・“あの儀式”をしない事には・・・


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Desserts Au Choix


プリフィックススタイルのデザートセットで、ワンプレートにメインのスイーツが1品と、
サイドスイーツが2品、更にマリアージュするアルコールをチョイスして完成する。

実は僕が訪れた当日は、季節毎に変わるメインスイーツの最終日に当たり、
定番スイーツも迷ったが冬に別れを告げるべく季節のスイーツを選んだ。
焼き上がりに時間がかかるとの事であったが・・・15分後位だろうか・・・

やって来たのは三角形が印象深いガラスの平皿に盛られた3種のスイーツの共演。
思わず小さな声をあげてしまい・・・暫くの間、ただただ見惚れている他なかった。


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フォンダン・フロマージュ

メインに選んだ冬のスイーツは円筒状にシートに包まれ、皿の中央にちょこんと座っていた。
もし撮影するならシートを取る前にした方がよいとの事だったが、果たしてシートを捲ると・・・
クリーム色の液体がどろりと溶け出していって、皿の上いっぱいに流れ出すではないか!
しかも、チーズの薫りとクリームの風味が湯気と一緒にふわっと広がっていくなんて・・・

シートを覆う蓋のような、こんがりと焼かれたチーズのサクッと香ばしい事。溢れ出た
とろとろに溶けたクリームを慌てて掬ってひと口食べると・・・これまで食べた事の無い
熱々のチーズと滑らかなクリームの風味が濃厚な甘さで溶け合った全く新しい味わい!
溶け出したチーズ&クリームは、中心から周りのシートへと、だんだんと変化していき、
とろとろの感触がだんだんしっとりになり、絶妙なグラデーションを堪能出来るのだ。


焼きチョコスフレ&季節のフルーツコンポート(林檎)

サイドスイーツは定番が中心で、ソルベ・・・アイス・・・パンデビス・・・魅力的な名前が
メニューを踊っていたが、迷いに迷った挙句、上記の2品をチョイスする事にした。

ふんわりと焼かれたチョコスフレは、しっとりとしたガトーショコラの濃厚でほろ苦い
チョコの風味がクリームのまろやかな甘さでマイルドな口当たりになっていた。
更にフロマージュやショコラのまったりとしたスイーツに、林檎のコンポートの
ジューシーでさっぱりとした感触が良い意味でのアクセントとなってくれた。


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カルム・ド・リューセック


マリアージュのアルコールは3種類。ヴァン・ショー(ホット・ワイン)、シャンパン(ブリュット)も
気になったのだが、今回僕がチョイスしたのはソーテルヌ地方の貴腐葡萄を用いた白ワイン。

彼の1級シャトーであるラフィットが現在所有するシャトー・リューセックのセカンドワインで、
ソーテルヌ地方の代表種でもあるセミヨン100%の貴腐ブドウで作られた極甘口白ワインだ。
グラン・ヴァンは万単位にもなる高級ワインであり、セカンドとはいえ醸し出す雰囲気はリッチだ。

まるで蜂蜜のようにキラキラと輝き、艶やかに潤んだ黄金色は何時までも眺めていたくなる。
専用のグラスに鼻を近付けると、優しく鼻孔を刺激する仄かに甘く爽やかな心地良い薫り。
そのふわっと広がる薫りに堪えかね口を付けると、とろりとした液体が口の中いっぱいに
弾けて、蜜のたっぷりはいった完熟の林檎にも似た甘さと微かな酸味が広がっていく。


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後はひと口付ける度に、グラスを回し、薫りを楽しみ、口に含み、そして何時までも・・・
そう、中々諦めきれずに・・・この魅惑的な余韻に浸っていたかったのだ・・・


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さり気無く窓際に提げられたグリーンが目に眩しい・・・

この席は外のナチュラルな世界と中のムーディーな世界との境界線。
今、僕は現実の世界とElvis Cafeの世界との境界線に立っていた。

僕の身体と・・・そして、心はたった一つだけ・・・でも、此処で決着をつけないと・・・
グラスを回す手も何時の間にか止まり、グラスに映る自分の顔を見つめていた・・・


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フランボワーズのパウンドケーキ


帰り際にレジの前に置かれた皿で見つけた焼き菓子に、思わず手が伸びてしまった。

しっかりと焼き色の付いたパウンド生地とまるでおもちゃみたいな真っ白なフォンダン。
その中にポツポツと見え隠れする可愛らしいピンク色の水玉模様は・・・フランボワーズ!
お人形やアニメに出てくるお菓子みたいにキュートで・・・本当に食べられるのかなって・・・

しっとり生地のやわらかな口溶けに甘いフォンダンと甘酸っぱいフランボワーズが
マッチして、お気に入りのティーカップに熱い紅茶を注いでゆったり頂きたいね。


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「エリンジューム」


その身体から解き放たれた青く鋭い閃光が僕の心の一番奥底に突き刺さってくる。

お前が自分で決められないなら、俺がお前のもやもやを射抜いてやるからって・・・
いや、青き光のイニシャルよ・・・大丈夫だ、キミのお陰で僕は目が覚めたから・・・
それに・・・決心はついているからこそ、今こうしてこの店にやって来たんだ。

でも、キミのその花言葉は・・・そう、この店の紹介にぴったり過ぎるんだ・・・

全てが秘密で・・・そして、それは何時かきっと・・・


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  分かりました。是非、自分に行かせてください。

  そうか、やってくれるか!
  急だからな・・・これから忙しくなるぞ!
  早速だがな・・・



現実の世界の自分にケリをつけた僕は、その夜、ある人の下にメールを出した。
Elvis Cafeの世界を彷徨い続けた僕に・・・ケリをつける為に・・・
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by mary-joanna | 2010-03-16 17:03 | 酔ひもせず
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