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フ.仰げば尊し

僕が勤務する某学習塾の今年度の冬期講習も、3学期の始業を前にした冬休み最終日を以って終了した。
例の病気により欠席者の数が少々多かった事を除けば、例年通りの冬期講習期間だったともいえるだろう。
特に受験を控える(既に高校によっては入試を迎えていた)中学3年生にとっては最後の追い込みでもあり、
手応えを感じ自信に満ちた顔付きになった生徒もいれば、逆に今回の講習で準備不足を浮き彫りにされ、
焦りや不安の表情を覗かせ、突然、猛勉強を始める生徒も(非常に?)多くいた事も付け加えておこう。
尤も、これは毎年この時期に繰り返される光景だった。最終的にどの生徒も合格による喜びの笑みや
達成感による安堵の面持ちを満面に湛えて新たな大空へと巣立ってくれるものであり、その瞬間こそ
これまで共に頑張ってきた僕たち塾の職員にとっても最高に充実したひと時でもあるのだが・・・

そんな、中学3年生にとってはまさに正念場の受験シーズンへと突入した冬休み明けの大事な時、
一人の中学3年生が僕の勤めている学習塾を退塾した。理由は至って明確で、両親の離婚によって
母親方について行く事になったその生徒は、母親の実家へと引っ越しする事が急に決まったからだ。
うちの塾に長く在籍した生徒でもあり、他のスタッフからもこんな大事な時に何故?と心配の声が
あがっていたが、その家庭の事情であるし、此方は単なる学習塾に過ぎないのだし、そして何より
当の生徒は未だ中学生、この如何する事も出来ない突然の境遇を唯歯痒くも見守る外は無かった。

とりわけ僕にとってその生徒との付き合いは長く、僕が足利の教室に赴任した約3年前の4月、
中学校に入学したばかりの彼の英語のクラスを担当して以来、都合3年間ずっと教えてきたのだ。
英語の成績としては中の上といった程度であったが、比較的理数系の科目が得意だった事もあり
全体的には学年でも上位に位置し、地元足利市内の公立進学高校への合格も有望視されていた。
しかし、僕と同じバスケ部だった為か、はたまた休み時間によく出していた推理系のクイズ(?)が
気に入ってもらえたのか、僕のところにやって来ては勉強の相談をはじめ、部活やクラス、更には
普段の生活での気になった点、興味を持っている事など本当に様々な話をしていたものだった・・・

・・・たったひとつ、両親の問題を除いて・・・

そう、知らせを受ける前日の、講習最終日も別段変わった様子は見せずに普段通りに授業を
受けて帰っていったのだが、今にして思えば、心なしかやや元気が無かったようにも感じられた。
だから、その知らせを受け取った際、僕はその事実に驚き、彼の行く末を案じ、自分の無力に憤り、
そして、何よりももう彼に会えなくなる事が寂しかった・・・どの道、あと2ヵ月で卒業してしまうのに・・・


3学期も数日が過ぎ、いよいよ受験までカウントダウンとなったある日、それは突然送られてきた。
出社すると僕のデスクには一通のシンプルな白い封筒。机上に郵便物が置かれている事自体は
珍しい事では無く、仕事関連の封書や葉書の整理によって一日がスタートする日も多々あったので
最初は気にも留めていなかったが、この封筒を僕の机に置いた同僚が早く開封するように急かすので
何事かと思い宛名を見ると・・・何と、彼からの手紙ではないか!開封までの、何ともどかしかった事!


  先生、突然退塾する事になってしまい大変ご心配をおかけしました。
  今はまだ、引っ越しの整理も全然片付いていないような状況でして、
  実はこの手紙もダンボール箱に囲まれた中で書いていました。
  新しい学校ですが、まぁ慣れる慣れないなんて悠長な事を言ってる
  ひまも無く、早くも私立高校の学業特待入試を一つ受けたとこです。
  名前も良く知りませんでしたが、この地区ではみんなが受験する高校
  だって聞いたので・・・もちろん僕は受かりましたよ~!!

  もう少し足利にいたかったのですが、結局はコチラで生活するので、
  なるべく早く引っ越しこちらでの公立入試に備える事にしました。
  ですので・・・先生には3年間お世話になったのにちゃんと挨拶も
  できずに別れてしまい、本当に申し訳ありませんでした・・・

  また公立入試が終わりましたら、改めてご連絡したいと思います。
  それでは先生もお元気で・・・受験、頑張ります!! 
 


たった一枚の便箋を両手に持ったまま、暫くの間僕は席を立つ事はおろか身動き一つとる事も出来なかった。
人目を憚らず号泣するなんて格好付けた事は出来なかったけれど、その夜、家族が寝静まった後にたった一人、
薄暗い部屋のデスクの上で再びこの手紙を広げた時は、熱いものが込み上げるのを抑える事が出来なかった・・・

そして、暫くこの手紙を見つめた後、僕は決心したんだ・・・彼に一足早い“アレ”を見せてあげる事を・・・
次の休日、早速僕は行動を開始した。向かった先はお隣りの群馬県。何故ならば“アレ”は其処でしか
見る事が出来ないし、その前に如何しても立ち寄りたい場所があるんだ!!・・・そう、例の“勉強部屋”に・・・



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cafe wabisuke



群馬県伊勢崎市の中心からやや外れた郊外にあるテナントの一角に僕はやって来た。
オープンから一年が経っていたが、良い意味で注目を集める事無くひっそりと営業を続け、
群馬近郊のカフェ好きな人たちの間では県内の数少ない隠れ家的な存在として愛されていた。

テナントとは言え、真っ白な壁にはアンティークと思しき古びた味のある木枠のドアや窓枠、
更にはベンチが絶妙なバランスでゆったりと配され、店主のセンスが十分に感じられた。

でも、花を追い求める僕を出迎えてくれたのは、このカフェの店名を冠する・・・


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ワビスケ(白侘助)


縦に伸びた細い枝には小さな猪口咲きの白い花が咲き誇っており、まさにこの花の時季を迎えていた。

花弁の質感や形状は勿論、葉の色艶や形等からもこの花が冬を彩る寒椿の仲間である事は確かだが、
他の寒椿に比べて花弁の控え目な開き具合や落ち着いた色合い、そして何と言っても“侘助”という名が
何も無い真っ白でシンプルな外壁のキャンバスに伝えたいオブジェを大胆に配置するセンスとも相まって、
何とも“侘び寂び”を感じさせてくれるではないか・・・花だけでも気になるのに、それが“侘助”だなんて・・・


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このカフェにやって来るまで、このドアは果たして何処でどの様な人々を迎え入れてきたのだろう?
そんな思いに浸りながら、僕はこの趣きのあるドアに手を掛けた。その先に広がっていたのは・・・


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中に入った僕を真っ先に出迎えてくれたのは、シンプルな棚に置かれた硝子の小瓶だった。
一輪挿し・・・グラス・・・キャニスター・・・その用途によって異なった様々な形状の小瓶たちは
其々が個性的な表情で僕を見つめているようで・・・しかも瓶の中にはカラフルなビー球にボタン。

可愛らしい彼等を眺めていると、何だか小さかった頃の自分に戻ったみたいな・・・
まるで未だ学校に通っていた頃の・・・あぁ、このドアに迎えられる人たちってきっと・・・


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広々として簡素な部屋の中には以前のオーナーの愛着が感じられる、丁寧に使い込まれて
絶妙な風合いを感じさせるアンティークの上品な調度品の数々が、ゆったりと配されており、
それは開放感と寛ぎは勿論の事、適度なプライベートも保たれる空間に仕上がっていた。

外の世界との接点でもある窓枠に嵌め込まれた磨りガラスから差し込む午後の陽射しは
ほんのりとしたミルク色になって部屋に広がり、穏やかな時間と空間を演出してくれる。


なぁ、此処にいれば受験勉強の焦りや不安も優しく解き解してくれるんじゃないか?


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たまには気の置けない友人とお茶でも飲みながら将来を語り合うのも必要だぜ!

そして、きっと心優しいお前の事だから、母さんに心配掛けまいと何事も必要以上に
自分一人でこなそうと無理しているんじゃ無いか?・・・でも、ずっと部屋に籠ってばかり
いないで、母さんや家族の方と一緒に食卓を囲んで談笑するのもお互いに安心出来るぞ!


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そう、こんな時こそ、ダイニングの大きなテーブルで・・・家族全員で食事して・・・
他愛の無い些細な事だっていいじゃないか・・・もっと母さんの顔を見てあげなくちゃ・・・


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そんな時、テーブルの端にさり気無く花が添えられていると・・・思わずホッと和むんだ。


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今年の冬は飛び切り寒いらしいからな、ちゃんと膝掛けして勉強するんだぞ!!


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あと、栄養もしっかりと採らないとな。偏った食生活ばかりじゃなくて、果物とかも
ちゃんと食べて、ビタミンも・・・えっ、先生に言われたくはないって!?・・・ははは・・・


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じゃあ、そろそろ・・・“勉強部屋”の方に案内するからついてきなよ・・・


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コイツに花を活けているなんて・・・まぁ、“勉強部屋”のインテリアにはぴったりかな?


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ようこそ、此処が僕の“勉強部屋”だよ。どうだい、この書斎机?かなり使い込んでいるけれど、
褐色の地肌を優しくさすってやると、良く馴染んだ温かな木の感触が手の平全体に伝わって、
忙しなかった一日の疲れをこの重厚感溢れる机が包み込んでくれる気がしてくるんだよ・・・

それに、手の届きやすいように直ぐ背面に置かれた棚の中には欠かす事の出来ない・・・


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年代物の鉛筆削りと算盤が出番をゆったりと待っているんだ・・・


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更に、店主の宝物のテープカッターや・・・


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今ではめっきり見る事も無くなった、こんな量りだってあるんだぞ。

それにしても、このメモリの数、すごいだろう!!
この量りだったら、お前のでっかい夢だって量る事が出来るかもなぁ・・・


うん、そろそろ夜食を持ってくるか?夜遅くまで勉強していると腹も減るだろう・・・
部屋で一人で食べるのは寂しいけれど、後で振り返ってみると良い思い出になるんだ。

何を食べるのかって?夜食って言ったら勿論、熱々でスタミナもあって、みんなの大好きな・・・



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焼きカレー


寒い夜にぴったりの、身体も心もポカポカに温めてくれる夜食といえばやっぱりこれだよ。
肉にゆで卵にチーズに栄養もスタミナも満点で・・・後もうひと頑張り、これで乗り切ろうぜ!!


そして、ドリンクだって冬にぴったりのを用意しているんだよ。


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ゆずティー


そう、この季節、仄かな柚子の香りと焼きカレーで火照った身体を心地良く冷ましてくれる
このスッキリとしたゆずティーにまったりと包まれれば、受験の張り詰めた緊張感だって
優しく解き解れていって、きっと心の芯からリラックス出来るんじゃないかな・・・

爽やかな柚子の香りと一緒に頂くのは、勿論・・・甘いデザートしかないよね!


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キャラメルチーズケーキ


脳をいっぱい使ったら、甘いものも必要だぞ!

キャラメルのまろやかな甘さとチーズのなめらかな風味が絶妙にマッチして美味しい、
このしっとりとしたふんわりチーズケーキを食べて・・・気分も一新、更に勉強も捗るよ!



さぁ、腹もいっぱいになったし、眠くなる前に“勉強部屋”を発つ事にしよう。
此処は至極居心地が良いから、気付いた時には書斎机で寝ていたなんて事も・・・

目的の地までは同じ群馬県内でも数十キロの隔たりがあり、しかも其処は山の中なのだ。
だから現在僕がいる伊勢崎市からは暫くの間はドライブを続けなければならなかった。
車を走らせる事数十分、街並みは田畑へと変わり、めっきり民家も無くなった頃・・・


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目の前には見渡す限りの雄大な景色が広がっていたのだった。

四方を取り囲むように折り重なる山の稜線・・・眼下に小さく見える麓の集落・・・
僕は群馬と埼玉の県境に位置する、群馬県旧鬼石町の外れの山間まで来ていた。


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何故この場所なのかって?・・・それは勿論、今、此処でしか見る事の出来ない・・・

でもその前に、ほら、其処彼処で咲いている綺麗な花を見てみなよ!


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山茶花


この季節にはこの季節の、まさに今が旬の最高の輝きを見せてくれる花々を!
お前だってずっと頑張ってきて、今、一番輝く時がやって来たんだよ!!


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だけどね、本当はお前と一緒に見たかった花があったんだよ・・・
それは、もう少し先の、春にならないと咲かない花だったんだ・・・

そう、お前にとっても僕の生徒たち全員にとっても、本当の春に咲く花・・・


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「フユザクラ」


みんなで一緒に、桜の花弁が舞い散る下で合格の喜びを分かち合いたかったんだ。
みんなで一緒に、桜の花弁が舞い散るように儚い塾の思い出に浸りたかったんだ。

でも、お前だったら大丈夫だ!頑張り屋のお前なら絶対に第一志望に合格するよ!!
だから・・・少し早いけれど、僕からお前への合格祝いにこの桜を見てくれないか?

いや、気を抜かせるつもりも、逆にプレッシャーをかけるつもりも無いんだ。
唯、如何しても見て欲しかったんだ。困難な状況でも美しい花を見せてくれる
この白い“合格の印”を、僕からの受験のお守りとして受け取ってくれないかい?


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今は未だちっちゃな蕾だけれど、何時かきっと大輪の花を咲かせて・・・


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真っ白な帆をピンと張って、風を捉えて未知なる大海原へと旅立とうとする君。

希望と不安を胸いっぱいに秘めながら、どんな困難が待ちうけるやも知れない海へ・・・
この先、志し半ばにして挫けてしまいそうになる事だって多々あるかも知れないが・・・

でも、大丈夫、お前だったらきっと最後までやり遂げる事が出来るって!!
3年間ずっと見守ってきた僕が保証するのだから、絶対に間違いは無いって!!


暫しのお別れだけれど、高校に入って落ち着いたら必ず会いに来てくれよ。
そして・・・僕とお前の、お互いのでっかい夢をとことん語り合おうぜ!!

その頃・・・そう、足利の街中でも桜の花弁が舞う頃には、きっと・・・
僕の夢も、ケリがついている頃だから・・・きっと・・・
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by mary-joanna | 2010-01-04 18:11 | 今日越えて
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